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ウォン・カーウァイ映画の凡ては 原点にして傑作『欲望の翼』と交わる 2/3


ブエノスアイレス ©1997, 2008 Block 2 Pictures Inc. All Rights Reserved.



~1/3より続く


映画の中の映画、名作の誕生


1997年5月、筆者はテレビ番組取材で、第50回カンヌ国際映画祭へ来ていた。映画『ブエノスアイレス』は作品出品の締切ギリギリで完成し、公式上映の晩、カンヌのビーチで盛大なナイト・パーティが行われた。欧米のスターも来場していて、中国語も堪能でアジア文化に造詣が深いハーヴァード大卒の女優でその年の審査委員の一人でもあったミラ・ソルヴィノもいて、暫しの間、話した。カーウァイ作品の世界には心酔しているからパーティ会場を訪れたと言っていた。本作への期待度がヒシヒシと伝わってきた。


予感は的中し、ウォン・カーウァイ監督は、栄えある監督賞を授与された。難産な映画作りだったので、きっと、この受賞は全ての労苦が洗い流された瞬間だったハズだ。この日から映画『ブエノスアイレス』は、映画の中の映画、世界の名作シネマの一本になることが決定づけられた。



50年間続く一国二制度が静かに始まった


1997年7月1日の香港返還の日の一ヵ月前、筆者と日本からの撮影ロケチームは、香港の九龍地区にアパートを借りて、英国から中国への返還を目前に控え、揺れる香港の様をドキュメンタリーとドラマの両サイドから描くフジテレビ特番『タイフーン・シェルター 香港返還の光と影』の制作を始めた。ドラマといってもたった5日間しか撮影の猶予はなかった。5日間の撮影期間で70分の作品になるものを撮るのは、なかなか至難の業であった。当然が如くに長回しを多用した。


キャストは、浅野忠信、緒川たまき、カレン・モク、ジャクリーン・ロウ、『天使の涙』にも金城武演じるモウのお父さん役で登場する普段は、重慶マンションの管理人であるチャン・マンロイ、撮影はクリストファー・ドイルで35ミリ・フィルム撮影とした。撮影技術クルーは、ウォン・カーウァイといつも仕事するA、B班のうち、空いてるチームが駆けつけてくれた。彼らの仕事っぷりは驚くほど速かった。疾風のように現れて、撮影準備して、あっという間に片付けて、去って行く。



何かがもっと起きるのでは?と複雑な心持ちで部外者であったわれわれが目撃した香港返還は、あっけなく通り過ぎていった。


あれから20年が経過し、雨傘革命が示す通り、世代交代による意識の変化が各年代層にあるのが現在なのだと感じている。返還の前年に生まれた子供らが雨傘革命を起こしているのだから。彼らは、両親や祖父母の影響下にあった訳で年々、住み辛くなってきたという思いを強くしてきているハズだ。返還以降のこの20年間に生を受けた子供たちが現在、どのように感じているのか? が気になるところ。



日本へやってきたミスター・ブエノスアイレス


1997年9月、トニー・レオンが東京へやってきた。テレビ東京特番「『ブエノスアイレス』 トニー・レオンに恋をした」の演出のために彼へのロング・インタビューをする。とても寡黙でレスリーとは、真逆の人柄。寡黙な分、ミステリアスではあったけど、真摯で好ましく感じた。


その後、事前にロケハンしてコースを決めておいた南青山のとても狭い裏通りを愛機であるボレックス16ミリカメラにフジフィルムを装填して、1時間ほど撮影時間を頂いてトニーを撮影して歩く。敢えて指示はしなくても即興で自然とそこにあるものに反応しながら演じてくれた。つくづく、この人はウォン・カーウァイに鍛えられているのだなと痛感。


散歩の後半、家屋の造成地のような背丈以上の高さの盛り土に向かって、聞き耳をたてるようなそぶりをしてくれた。イグアスの滝へ一緒に行くことは叶わなかったウィンからのメッセージでも聞くかのような気分だったのかもしれない。


今となってみるとあの即興は、あれから約2年後、『花様年華』のアンコールワットでの穴に向かって、自分の秘密を囁くあの行為と聞くと囁くとで違いはあれど、どこか似ていると感じた。すべてはトニーの中で、時間を超えて、繋がっているのかもしれない。



ウォン・カーウァイとの雲をも掴むかのような一問一答


続いて、ウォン・カーウァイも『ブエノスアイレス』宣伝のために来日した。特番「『天使の涙』」制作時以来の単独取材をする。『天使の涙』の世界には、心底シビレたが、あの時は、まだ自分はカーウァイ流の映画作法を理解してはいなかった。だから、彼にビデオカメラを持ってもらい、当時、まだ芸能活動を始めていなかった美大生の伊勢谷友介をモデルに六本木でビデオ撮影によるスケッチをしてもらった。あの時から1年ちょっと、今回は単独インタビュー。ウォンは、例の如く、まっとうな言葉を選んで話し、結局、煙に巻かれるような答しか返ってこない。途中、「香港返還がテーマのドラマをクリスの撮影で撮りました」と伝えると表情が和らぎ、「そうか、君だったのか、どうだい?映画を作るというのは大変だっただろう?」と訊いてきた。「本当にそうでした」とだけ、自分は答えた。そこの一瞬だけ、心が通じ合ったように思えた。ウォンはとてもスマートな人で、インタビューでは本音を隠して、誰もが納得するような平板な答えしか返してこない。インタビューで本音をあぶり出すなどゲスの極み、番組を作る上では、真実は闇の中でよかったのだ。



60年代シリーズ・第2部作・第3部作の同時着手


その後、香港で『花様年華』、そして、同時期にその続編ともとれる『2046』の撮影が始まった。2000年に公開された『花様年華』は、トニー・レオンとマギー・チャンによる競演が素晴らしく、『ブエノスアイレス』でのファイがチャンのカセットレコーダーに悩みを吹き込んだように(実際は、涙声で聞こえなかったようだ。)トニー演じるチャウは、旅先のアンコールワットで穴に自分の秘密を隠しに行く。



影を落とすレスリーの不在


2003年4月1日、レスリー・チャンがセントラルにある老舗ホテル、マンダリン・オリエンタル香港から飛び降り自殺をして他界した。あまりにも突然すぎるお別れ・・・・・・


レスリーの現実世界からの不在により、ウォン・カーウァイが作り出す映画世界にも変化が始まることとなる。もうこの世にはいない人であるのにこれから作る映画に影響するとは何故なのだろう? それは、ウォン・カーウァイという人が縁も所縁もある、傑作映画を作り上げるという目標のもと、楽しい時、苦しい時を力を合わせて、一緒に過ごした大事な人への自分なりのスジを通す人だったからなのではと思った。


ただ、そのためには、周囲の人々が被ることなど知ったことではなく、徹底的にやり抜く。レスリーへの精一杯の弔いともとれた。



2046という数字の羅列に背負わせたこと


完成までに5年を要した映画『2046』のタイトルの数字は、映画の中で語られ始める小説と同名タイトルであると同時に前作『花様年華』でトニー・レオン演じるチャウが借りていたホテルの部屋番号の数字と符合する。その部屋で執筆活動をし、マギー・チャン演じるスー・リーチェンと愛おしい時を過ごした。本作でもチャウは、同じホテルへと舞い戻るが、同部屋が空いておらず、仕方なく、隣の2047号室で暮らすこととなり、隣室2046号室には、フェイ・ウォン演じる同ホテルオーナーの娘、ワン・ジンウェンやチャン・ツィイー演じる娼婦バイ・リンといった登場人物たちの姿を見かけるようになり、ストーリーは動きはじめる。


3/3へ続く



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